フリーのレコーディングエンジニアで食えるようになるまでの経緯

フリーのレコーディングエンジニアになってから4年目に突入してますが、音楽不況だ、エンジニアは必要ないだなんだかんだ言われつつ、今はレコーディングエンジニア1本で食えるようになってます。運による所がかなり大きかったんですが、なぜフリーで食えるようになってきたかの経緯を過去に遡って書いていこうと思います。

 

 

上京したすぐくらいの時代

23歳の時に僕はレコーディングエンジニアになるべく東京に出てきました。まあ、今思うと、その頃の目標を現時点では達成出来てるので、素直に良かったなー、、、と。

 

JABBERLOOPというバンドがありまして、僕はこのバンドと一緒に上京してきて、その頃同じ家に住んでました。期間的には2年間くらいですかね。東京出初めの頃、彼らは東京で音楽活動をして、僕はレコーディングスタジオへの職探しをしておりました。

 

当時、特にレコーディングスタジオの働き口のアテがある訳ではなく、上京してから探すってな感じです。とにかくレコーディングスタジオに潜りこまなければ話にならないと思っていたので、手当たり次第スタジオに電話掛けたり、募集している所に履歴書送ったり、アポなし突撃をしたり、考えうるありとあらゆる手を使って働ける所を探してました。

 

それなりにターニングポイントがあったので、そのうちのいくつかを書き出してみようかと。

 

 

ライブハウスPAアルバイトをしないか?というお誘い

 JABBERLOOPの他に仲の良かった地元のバンドが先に東京に出てきてました。そのバンドはもう解散してますが。そのバンドのうちの一人がライブハウスでアルバイトをしていた訳です。そこでPAを募集しているとの事だったので、うちに来ないか?と。

 

その頃は全くアルバイトもしていなかったので、レコーディングとは違いますが、少なくとも音響関係に関われるという事だったんですが、迷ったあげく、やっぱりお断りする事にしました。

 

ライブハウスPAだとどうしても耳を悪くする可能性があるのと、どうしてもプロスタジオへ行きたく、ライブハウスPAをした所でレコーディングへの道へは進めないと思ったんですよね。

 

 

某プロスタジオでの面接

 某プロスタジオがアシスタントを募集していたので、履歴書を送ってみた所、面接があるから来てくれというのがありました。結果的には落ちてます。

 

東京来てから初めてのプロスタジオでの面接でした。で、恐る恐る面接に行きまして、スタジオに入ったらでっかい卓があり、わーこれがプロスタジオかー、みたいな所に、同じ面接に来た人が5~6人くらい?いて、卓の前にはこれまた5~6人くらいエンジニアっぽい人がずらり。

 

なんかレコーディングスタジオって静寂で空気重いんですよ。そこに強面のエンジニアがずらーと並んでいて空気の重さMAX。スタジオってこんな感じなのかー。。。。と思いつつ、むちゃくちゃ緊張して厳かに面接スタート。

 

そこで、たぶん大学等で就職活動をされた方だとありがちだと思うんですが、「自己PRをしてください。」「動機志望は何ですか?」などの質問が飛び交いました。

 

その時思ったのが、というか自己PRっていったい何だよ!!!と、、。面接だったら当然の質問だったのかもしれませんが、音楽業界というのはもうちょっとフランクな感じだと思っていた僕にはそういった質問が全くの想定外で、物凄く噛みまくってその場しのぎて適当に答えるしか出来ませんでした。

 

でも、当時を振り返って思い出しても「自己PRをしてください。」という質問の意味が理解出来ません。こっちは若造なんだからPR出来る所なんて何もねーよ!!!と。そんなん写真を自撮りして自分で美白フィルターを掛けるくらい恥ずかしいわ!!!(個人的意見)と思ってしまいます。

 

 

オンエアー麻布スタジオでのレセプションアルバイト

 色々プロスタジオをネットで検索していて、当時のオンエアー麻布スタジオ(今はつぶれてしまいました。。)でレセプションアルバイトの募集がありました。

 

当時、レセプションの意味が分からなかったのですが、ざっくり言うと、電話番、掃除、車の車庫入れなんかのアルバイトでした。んで、履歴書を送ってみたら面接に来て欲しいとの事だったので行きました。

 

スタジオは西麻布交差点の近くにあり、お洒落スポットまっただ中。こ、これが東京かー。。。なんて思いつつ、スタジオ着いてみると、でかい。こ、これが東京のスタジオかー。。。なんて思いつつ中に入ってみると、これまたお洒落。こ、これが東京の一流スタジオかー。。。なんて思いつつ面接スタート。

 

某プロスタジオでの面接とは打って変わってなごやかな面接。滋賀にいた頃にリハーサルスタジオでアルバイトしていた事や、前述の色んなスタジオに突撃していた事がなぜか評価され、アルバイトが決まりました。この面接中にぱっと入口を見てみたら普通にふらーっと超有名アーティストの方々が入ってきて、いきなり有名人!!!?これはほんま東京凄いで!!!みたいな感じでしたね。

 

アシスタントの仕事ではありませんでしたが、プロスタジオという事もあり、ここで頑張ればアシスタントへの道も開けるかもしれないと思い、ここでアルバイトする事に決めました。たった半年くらいのアルバイトでしたが、結果的にここでの体験はもの凄く貴重な経験になってます。

 

実際に働いてみて、皆さんのプロ根性と意識の高さを垣間見る事が出来ました。僕はそれまで普通の社会経験が無かったので、もしかしたらそれが普通だったのかもしれませんが、皆さんしっかり責任感を持ってお仕事されているなと。一流のアーティストと仕事をしているという事を誇りにされてるんだなーと。

 

ここでいくつか印象に残ってる事を。

 

まず、アシスタントの人ちょー怖ええええ。って事でした。目が怖い。殺気出してる。その他でも、みんな一個人としてすごいキャラが立っているなと。あんまり組織って感じではなかったです。アシスタントよりレコーディングエンジニアの方は比較的優しかったですね。

 

ここで、「関西弁は標準語に直しなさい」と命じられました。特に電話での対応では、関西弁だと馴れ馴れしく聞こえてしまう、失礼な感じになってしまうという事でした。たしかにそれもそうだと。ここで気合いで直したので、今となっては敬語で話す場合で関西人だとバレた事はありません。タメ口だとむっちゃ関西弁ですが。

 

あと、地味に記憶に残ってるのが、「〇〇がこうだったんだよー。」「えっ、ほんとですか!?」という具合に、ほんとですか?という返しを結構使っていたのですが、ある時それは辞めろと言われました。理由は、そんなの嘘でなく本当に決まってるんだから、と。このやり取りは妙に印象に残ってます。

 

それと、もう一つ印象に残ってるのが、レコーディングエンジニアの方に、エンジニアになりたいと言う事を伝えると、「薦めはしないけど、止めもしない。」でした。僕はこの言葉がレコーディング仕事の世界観を一言で凄く良く表しているなーと勝手に思ってます。なので、この文言をエンジニアになりたいって人にパクって使ってます笑

 

この頃は比較的まだ音楽業界に元気がある時代で、バブリーな感じが色濃く残ってました。今となってはもうどこもやってないであろう、車庫入れをアルバイトがやるとか。オンエアー麻布は立体駐車場だったので、お客さんが車で来たらキーをお預かりして僕たちが車を車庫入れするのです。

 

だいたい皆さん高級車で来られていて、これぶつけたら俺死ぬな。。。と思いながら車庫入れしてました。その頃みんな音楽業界の人達はベンツとかジャガーとか。そんな時代が懐かしい笑あんな人やこんな人の車をひたすら車庫入れしておりました。

 

まあもっと色々話しがありますが、長くなるのでこの辺りで。

 

 

ハルスタジオでの研修

 ちょうど、オンエアー麻布スタジオで働いていた時にハルスタジオがアシスタントを募集していたので、そこに履歴書を送ると面接に来てくれと。

 

オンエアー麻布スタジオとは打って変わって、ハルスタジオの外見はむっちゃ普通の家で、辿り着くまでに苦労しました。だってスタジオって分からないんだもん。。

 

ここでの面接は非常にあっさりしたもので、ちょこちょこっと話したぐらいで、じゃあ実際研修にはいつ来れる?と。給料も安いながらに出ると。なんでも実際に半年研修が続けられたら合格だと。なんだ楽勝やんーと思ってました。この辺りの話は後述で。

 

 

某大型スタジオからのお誘い

 当時JABBERLOOPがライブをしていた時に某大型スタジオのマネージャーさんからお声を掛けられた繋がりから、うちでもアシスタントを募集しているとの事だったので、ちょっと話してみないか?という事で面接的なものに行ってきました。

 

そこで、マネージャーさんからぜひうちで働いてみないか?と。ちょうどハルスタジオでの研修が始まったくらいの頃で、僕の選択肢としては、大型スタジオでアシスタントとして働く、ハルスタジオで研修を続ける、のどちらかに。

 

大型スタジオとハルスタジオでは、同じプロスタジオでも全然性質が違いました。大型スタジオは、色々なプロジェクトがあり、様々な録りの経験が積めると。一方、ハルスタジオはほぼエンジニア個人スタジオで、録るブースも小さく、録りがほぼなくて仕事のほとんどがミックスに関わるものだと。

 

というか、ハルスタジオは一般のスタジオからするとかなりイレギュラーなので、某大型スタジオのようなスタジオの方がアシスタントとしては一般的ですね。そもそもそういう形で働くものだと思っていたので、ここはかなり迷いました。大型スタジオのマネージャーさんも、ここで働いた方がより多くの経験を積めると。

 

色々悩んだ結果、ハルスタジオでの研修を続ける事にして、大型スタジオはお断りする事にしました。結局最後はほぼ直感だったんですが、その中でも僕にはハルスタジオに来られているアーティストがとても魅力的だったのと、1人のエンジニアに付いた方がより深く学べるかと思ったからです。まあ、結果的にはその時の選択は間違ってなかったんじゃないかなと。(たぶん)

 

ここまででだいたい半年ちょっとくらいの出来事ですね。とにかく早く働き先を見つけない事には資金が尽きてしまうので、スピード勝負でした。こうしてハルスタジオでの研修で、アシスタントとしての仕事が始まりました。

 

 

スタジオアシスタント時代

このスタジオはかなりスタジオとして特殊で、1人のエンジニアさんの仕事のサポートを徹底的にするという仕事でした。とても高名で素晴らしい音を作るエンジニアさんです。

 

半年研修を続ければ合格という事で、そんなんだったら合格者いっぱい出るんじゃないか?と疑問だったんですが、そんな事は杞憂に終わり、合計100人くらい?来たうち、結局残ったのは僕と、もう一人で、合計2人だけでした。もうこの時点でスタジオで働く事の厳しさというのが滲み出てますね。。。みんななんだかんだ辞めていく世界なのです。

 

結局、ここで7年くらい働く事になる訳ですが、もうこの時代は地獄でした笑

 

いくつか付け加えておくと、なぜ地獄だったのかというと、僕が鬼のように要領悪い人間だったからです。俗に言う出来ない奴ですね。今振り返ってみても、その当時は出来ないアシスタント業界トップ3くらいに入っていた気がします。とにかく全然ダメダメだったので、もの凄く怒られまくり地獄を見る事に。

 

当時を振り返ると、色々とよくあれで生きてこれたな。。。と思うばかりです。

 

そんなむちゃくちゃに追い込まれた生活だった事もあり、僕は自分という人間の底を見た気がします。そこで分かったのは、僕はかなり最低の人間でして、よく映画とかにある、追い込まれた時に主人公の仲間が最低な行為をするみたいな、あのアレです。もしかしたらこれが人間の一般的な姿なのかもしれませんが、僕は映画の主人公のようないざという時にパワーを発揮するような人ではなかったみたいですね。

 

なので、今となって思うのはそういった環境に行ってしまうとそんな事になるので、とにかくそういった環境に行かない、ならないようにする事を努力しております。もうあんなのは懲り懲りでございます。

 

ここで、他のスタジオと違っていた所は、とにかくミックスにまつわる事をしていたという事です。前述した、大型スタジオのような録りが中心のスタジオだと、録りの準備やProToolsを回す仕事が中心となります。ハルスタジオの場合は、ミックスする前のエディット作業が中心でした。

 

それと、このスタジオでは、エンジニアがミックスする前に僕達アシスタントがラフミックスとしてミックスをひたすらさせてもらっていた事が今となってはとても良い経験になっています。ラフミックスを提出して、それのダメ出しが延々続き、直しを延々する訳です。

 

録りの仕事はほとんどありませんでしたが、たまに外のスタジオで録りがあったり、ハルスタジオで歌録りがあったりもしました。外でレコーディングがあった際にはスタジオの設定などの準備。ハルスタジオで録りがあった場合にはProToolsを回したり。でも、普通のプロスタジオより圧倒的に回数は少なかったので、今でもProToolsを回したりするのは苦手です。皆さん、僕がエンジニアでレコーディングする場合には、アシスタントを付けてください。

 

ここでは、レコーディングやミックスにまつわる事や、クライアントとの付き合い方など、様々な事を学べました。ここでの話を書き出すともうキリがないので、ここは短く終えておこう笑

 

それでなんだかんだ7年くらいアシスタントをやっていたんですが、もう精神的にも体力的にもギリギリになり過ぎてスタジオを辞める事になりました。

 

 

スタジオ辞めた直後時代

思わぬ形でスタジオを辞めてしまう事もあって、その働いていたスタジオのお客さんからの仕事を引き継ぐ事はありませんでした。

 

まあ正直、エンジニアとしてやっていく自信もなかったので、これから何しようかなーみたいな。しばらくブラブラしていた時に、地元滋賀のお友達から、今やってる仕事の人手が足りないから手伝ってくれないと。まあエンジニアとしての仕事も無いので、いっちょやってみっかーと。

 

と、ほぼ同時期くらいに、一緒に上京してきたJABBERLOOPからお仕事のお誘いも受けました。これもせっかくお声を掛けてもらってるからいっちょやってみっかーと。という事で、滋賀と東京を往復する生活に。

 

滋賀でのお仕事は性質上ちょっと法的にグレーになってしまう仕事でした。まあ犯罪って訳でもありませんが。でも世間一般の印象は人によってはあまり良くないですね。

 

ただ、僕的にはこの仕事がとても楽しくて、周りの人もとても良い人ばかりだったので、精神的リハビリとしてもの凄く有用でした。なんかこの仕事のノウハウを書き出したら1冊本が書けそう。この仕事もあくまで個人として動いて、自分で考えて動かないと全く稼げない仕事だったので、自分で商売する事の基本的な事を学べました。

 

結構この時の仕事は今となっても生かす部分が多くて、やって良かったなーとシミジミ思います。今でも結構やりたい。

 

でも、JABBERLOOPとの仕事を通じて、やっぱ音楽の方が楽しいぞ、ってな事になりまして。彼らと一緒に東京出てきたのに、ここで離脱するとなんか申し訳ない気も勝手にしてきて、どうせやるならしがないエンジニアよりちゃんとしたエンジニアとして仕事した方が彼ら的にも良いだろうと勝手に思い、やっぱりレコーディングエンジニアをちゃんとやろうと思った訳です。

 

 

フリーのレコーディングエンジニアとして

という事でフリーのレコーディングエンジニアになりました。もう成り行きです。

 

僕が運が良かったと思うのは、JABBERLOOPが唯一僕に仕事をくれた事でした。そしてなぜか彼らには知ってか知らずか人を繋ぐパワーがあるので、彼らを通じて色々広がっていった感じです。まあ彼らがいなかったら僕は仕事ほとんどないですね。

 

印象に残ってるのが、フリーになった直後くらいで、彼らと仕事をしてミックスを上げた時、メンバーの一人から電話越しに「むっちゃ良かったでー!これならエンジニアとしてやっていけると思う。」的な事を言ってもらいまして、これは素直にうれしくて、あ、これやっていけるんじゃない?的に思った事ですね。何気ない所だったので、彼は覚えてないと思いますが。

 

それで、あの手この手を使って仕事を増やそうと努力した訳です。まあやっぱりフリーだと実績が全てなので、初めは苦労しました。でも手持ちのカードをとにかく使いまくってどうにかしようと。

 

フリーでやってきて思うのは、レコーディングエンジニアというのは、音楽そのものというより、人間の感情を相手に商売しているという事です。音楽を作っているのは人そのものなので、その感情から音楽が生まれてる訳です。そこをド返しするとどうにもなりません。

 

結構勘違いされがちですが、エンジニアとアーティストは音楽を作る上でほぼ対等ですが、完全に対等ではありません。当たり前ですが、アーティストの方が立場は上です。どんなアーティストにもこれは当てはまります。これを理解してないエンジニアは結構いるっぽくて(たぶん)、この超基本的な事を守らないと仕事はないです。

 

そういった事を厳密に守って、少しづつですが仕事をもらえるようになり、今ではレコーディングエンジニアで食えるようになってます。まあいつまで続くかは分かりませんけどね。

 

JABBERLOOPがあってこそエンジニアが出来てるようなもので、ラップ風に言うと、俺!JABBERLOOP!マジ感謝!マジリスペクト!みたいな感じではありますが、彼らが邁進する限りは僕もエンジニアを続けたいと一方的に思ってます。

 

という事で長くなりましたが結局精進ですな。がんばろ。

 

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